2012年4月28日土曜日

ピサロ考





『カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代』というテーマで5月27日まで、宇都宮美術館で企画展が催されているが、去る3月25日に「対談:ピサロと影の表現」といった作家からの視点で観たピサロの講演を行った。

この美術館に収蔵されている私の作品「吃水線/面 ボート」を始めとして、私の表現行為の名称であるモドキレーションを引き合いに出して印象派の作品に対峙させることで、印象派の中心人物であるピサロが抱えていた幾多の困難を現代に繋がる問題として我々の前に「影」として浮かび上がらせることが目的であった。

1800年代の後半はフランス革命から第二帝政下の政変の中でもブルジョアジーの地位が上がり、産業が盛んになるにつれて、民衆への搾取が深刻化すると共に、ユダヤ問題が大声で叫ばれるような状況があった。
ピサロもポルトガル系ユダヤ人としてカリブ海の島よりパリに来ていた。

ピサロは終生迫害の歴史を背負いながらも制作に励んだ。またピサロを識ろうとすると、彼に関係する作家たちをも識らなければならないことになる。
印象派という派がはじめからあったわけでなく、最初は芸術家の共同出資会社という名目であった。それ以後の12年の間に8回の展覧会をしているが、その中のメンバーも各回によって変っているが、その中で全展にわたって出品した作家はピサロのみであった。
その当時のフランスの美術界はサロンが全てであって、クラッシクなテーマに限られ、それ以外の現実的な画題は認められなかった。しかしそのような状況の中でも、ピサロの風景や、マネ、ドガ、ルノアールの人物画も時には入選することもあったが、、、。
先輩のマネやクールベ、コローも印象派に関係しているが、主な作家としてドガ、モネ、ルノアール、セザンヌ、ゴーギャン、スーラなど我々にもなじみのある作家たちが参加している。その中でピサロは中心的な存在で、セザンヌやゴーギャンの教師役もした。

サロンはルネッサンス以降の美術が主流で神話的な題材を厳格な科学遠近法を用いて描く画風で、その形式を無視して自分勝手に絵を描くことはサロンはもとより一般の間でも認められなかったが、少しづつ時代の変化と共に新しい作家が発表したり、ジャーナリズムに取り上げられるようになってきた。

近代の特長は科学の発展にあるが、絵を描くことに於いても、描く対象に直接立ち会い、発信してくる事実を純粋に、感覚的に受け取り、直接その場でカンヴァスに印することがピサロの制作態度であった。
しかし、そのような画風は直ちにアナキストであるという烙印を押された。

さて「吃水線/面 ボート」でいうと、ボートを水に浮かべて吃水線で切断し、水面であると規定した映像の上に切断された船腹も裏返しにしてボートの上側と並べて置くといった作品である。そのコンセプトは、普段見慣れた光景となっている固定された観念を打破する目的でつくったと云うことができる。


吃水線/面 ボート



正にそのような自由な観念の解放はピサロの作品にもあり、それまでのサロン風の絵と異なり、自分の感覚で自然に向き合った時の感覚をそのまま絵具にしてカンヴァスにのせていく、カンヴァスの隅から隅まで忠実に画面を充実させていく、その時見たものを全て描くということが、その時代の常識からするとアナキズムと断じられた。

私もポルノ事件で収監されたりしたが、ピサロたちも当時の社会から受けた差別の圧力感は現代の我々の比ではなかったと再認識した次第である。
最後に云えることは、印象派が様々な個性と資質を持った作家の集まりで、その系譜はそのまま現代美術の問題となって受継がれていることを考えたとき、正に『永遠の近代』なのだと思う。

2012年4月23日
島州一

上田市の「夢の庭画廊」の小澤さんから、季刊誌に何か書いてくださいとの依頼があり、最近行った講演のあらましを文章にしてみた。
夢の庭画廊 ➤http://yumenoniwa.exblog.jp/i2/