2015年10月31日土曜日

私の絵を描くシステム


私の表現システムは トレース である。
トレースの方法は時代と共にモチーフが変わる。


70年代はモドキレーション、80年代に FINGER PRINT、DRUM PAINTING、90年代言語の誕生、2000年代Tracing-Shirtへと様変わりする。

SHIMAKuniichi OS TRACE はTRACE をシステムに様々なアプリケーションを持つ。

私が、私の世界をトレースするのは、自己同一化が難しい情報化社会への自戒と共に警鐘でもある。


私の絵を描くシステム


 デヴィッドホックニー著の本の中に、1596年に描いたカラヴァッジオのリンゴとセザンヌが1877~1878年に描いたリンゴの比較をするページが並んでいるが、カラヴァッジオの光学機器を用いた単眼でのものと、セザンヌ自らの眼で描いた複眼の作品との相違は、近くで見る静物のリアルさはカラヴァッジオの方がセザンヌのリアルより優っているが、この二枚の作品を並べて遠くから見較べた場合、セザンヌの方がリアルに実空間の中に存在する、といった記述があるが、以上の指摘は私にとって非常に示唆的である。

 セザンヌは自分の複眼で、対象物の輪郭や表層にこだわるのでなく、空間そのものを描こうとした。そのことがカラヴァッジオの絵と異なるところである。

 絵を志した頃から私には石膏デッサンが悩みの種であった。その理由は当然両眼の複眼で石膏を描くのであるが、その時どうしても輪廓線が左右の眼で見た時に、画面上に一本の線として確定できないことが苦悩の種であった。
 その問題は依然として私の前に存在するが、見るということの不条理性といった問題に気付き、その背後に拡がる世界を識った。

 1982年の私の作品『DRUM PAINTING』は以上の二点の作品の例から考えると考え易いと思う。

  フィラデルフィアの庭のポーチの太い柱に直に描き付けたいと思ったことを、メタモルフォズしてドラムにカンヴァスを巻き付け、ドラムのレーンに沿ってけさがけに描き付けてドラムをトレースする。その場合ドラムの輪廓をトレースするのでなく、最上部の曲面に沿ってなぞるのみである。一つのレーンを描き終えた時、ドラムを回しながら次々とレーンを並べていく。



DRUM PAINTING 3
1982  F100 カンヴァスに油彩


 その行為を繰り返し描き重ねることで、各レーンのマチエールが充実し、隣り合う各レーンとの関係も充実し全体が出来上がる。そして木枠に張る。以上が『DRUM PAINTING』の制作プロセスである。

 通常私は現実空間内のものを直に描写しないのは、複眼でものを描写するシステムを使えないからで、その問題を単眼のシステムで描けるようなシステムに変えることを考えた。それがトレースの技法となる。(浅間山をトレースするアイデア)
そして私の技法は描くものゝ対象物に触れながら輪廓線を描く。(浅間山を自分のシャツに置き換える)

 2007年より続けている『Tracing-Shirt』は文字通りシャツを机上に寝かして透しとっている。この行為はスキャナで撮り込むことに相当する。




 1995年まで続けた『言語の誕生』もまた自分の身体表現そのものを同時にカンヴァスに描き付ける。それは自分自身の身体の働きを自身がトレースするという考えで描いた作品である。2015年中頃よりその画面の上に自らを象徴するアイコンの数々を描き入れている。自分の世界である『言語の誕生』と外界での自分の指標を画面の中で結びつける作業にとりかかったところである。


私が絵を描く瞬間の図
別の私が私をトレース



 トレースは外界のオブジェという他者を利用して制作するが、『言語の誕生』は自分を自分がトレースすることで、自家撞着が生ずる。表現するには状態を一度現実に引きもどさなければならない。その問題を解決するために自分がつくりだした指標であるアイコンを画面の中に入れることでかなりの明確な空間が暗示される。そのことですでに誕生している造形言語とアイコンとの無限の対話が始まる。


言語の誕生364 
2006 カンヴァスに油彩


言語の誕生364 添景 
2006, 2015 カンヴァスに油彩


 ものゝ輪廓線というのは単に物体の端でなく、自分の見える世界と見えない世界の境界線を意味している。それは物の後側だけでなく自分にとって意識できない世界であり、そのことを考えた時、自分が見ている世界が見ていない世界に比べて比較にならない程わずかな時空間であると悟った。わからない文字を識るために辞書を引いた時に自分の無知をその度に知らされるのと似ている。

 私はものごとを描こうとした時に、改めて自分の無知を自覚しその度に裸になって素朴に一から出発しようとする。どうしたら最もその場のリアルを表現できるか? 表現の現場と自分の体験の素材でもって最も単刀直入に無駄無く表現できるか、を考える。
 絵を描く時の自分の描かれる素材とその素材の置かれた状態の間でどのように描くかを考えようとして先ず描き始める。そして描きながら考える。私が絵を描こうとする時、ほとんどその場には無いことを描くことになる。
 私の眼前にある描く素材と描かれる素材を考えた時、描いたものは自分の行為の痕跡であり、その痕跡のある一定の回数や量によって作品が完成する。
 こうして描かれたものはその描かれた素材の質や条件によって成り立っている。その場合の描く描かれる両者の力の質によって成り立っている。


 例えばフロッタージュでは、粘土を板に指でなすり付けその上に柔らかい紙をのせてその上をコンテでこすって、紙の下の粘土に付けられた指の痕跡を写し出す。


FINGER PRINT  1982
和紙にフロッタージュ


それは結果的に見えないことを目に見えるようにする行為である。私は見えることを描くよりも見えないものを私なりに見えるようにすることの方が興味がある。

 以上のような考えから、『DRUM PAINTING』は始められた。ドラムの上にカンヴァスを巻き付けドラムを絵具で叩き付けるように描くことでカンヴァスを巻き付けられたドラムそのものをトレースしていることになる。


 セザンヌとカラヴァッジオの複眼、単眼の問題は、私にとっての問題、見えるものと見えないものイコール描くものと描かれるものにシフトされる。
 描かれるものが平面でなく立体の場合はどうしたら見えない質まで描くことが出来るか? その立体に働きかけた時の状況が痕跡となって残される。そのように写しとられたものが『DRUM PAINTING』である。

 自分の目に見えるものと見えないものがある以上、そのことを現代の問題に置き換えてみることが私の主要なテーマである。
 現代社会の仕組みは正に情報化社会であり、リアルとヴァーチャルが極端に混在しているのが現代生活そのものである。
 私はそのような社会構造に1970年頃より問題としてそのことを表現の主なテーマとしてきた。

 だから、石膏像の輪廓をさも真実として描くよりも、そのようなものを見ないでも表現できる方法を追究して来た。その一つに『Tracing-Shirt』シリーズがある。 

 浅間山麓に住む自分が浅間山を自分の表象として選び、山をトレースするかわりに自分のシャツをトレースする、ということになった。


Tracing-Shirt 206
2015  水彩画