2017年7月30日日曜日

トレーシングシャツ所感

Tracing-Shirt 198    2015


 万物が生れ成長変化し消滅するという存在の過程を、一瞬の一コマに書き留めることが美術である。逆に云い換えると、一つのシーンにあらゆる存在の過程を入れ込む表現。
 名付けることの出来ない存在の過程を入れ込む表現、名付けることの出来ない存在の巨大な予感の空間。
 モノとコト、あるいはバーチャルとリアルの関係の追求が面白く、どんな形と内容の関係が平面の次元に捉えることが出来るか、を自分が今を生きている空間の中で描き留めることが生きる目的である。


 自分が見据える空間の奥行きと無限の広がりの連鎖の中で捉えようとする自分自身の表現形態。それを現実の次元を変えて二次元にする時、描写のレトリックを使う必要がある。その表現の手続きが表現のモチーフになる。
 輝かしい無限の空間はシャツであり、その中にささやかに生きる私の生活空間が椅子の存在である。その自然の中で生活するスタイルを決定し、私を象徴する身代わりになる。椅子は私の存在の影としてのアイコンである。
 巨大な空間の象徴をシャツで表現する為にシャツの細部とレアルな形にこだわる。 
ー自然が巨大であればあるほど逆に細かくー


Tracing-Shirt 229    2017

Tracing-Shirt 203    2015


 万物が変化して流れる一瞬を引き止め、自分の息を殺してその一瞬を描き捉える行為。
一筆ごとに立ち上げる時間の流れの凍結の瞬間の連鎖の結果、一片のシャツが紙上に実現する。
 自然の変化の一瞬をとらえる為の、自分という自然の凍結の連鎖は、私の肉体にダメージを与えた。
 机上に設置されたシャツを写しとる為に立ったまゝの姿勢で、私の身体内の血流までも滞ってしまったのであった。第二の心臓である足の指から下肢のふくらはぎの周辺の血流の滞りは、私の身体に深刻な生きる為の流れを滞らせてしまうという影響を与えている。
 しかし、そのような試練と状況を逆手にとって、それらとの関連の意味を考えながら益々トレースするという行為の意味が、私と自然の連携の関係の中で深まっていくことを感じた。
 ひと筆ごとに鬼気迫るとはこのことか、などと考える昨今がある。

 永遠に生きる為には過去を殺すというジレンマが生れる。

2017年7月25日
島 州一



Tracing-Shirt 231    2017



2017年1月26日木曜日

IF




時は1970年
 ベトナム戦争の最中であった。当時の日本は高度成長時代の波に乗っていた。マスコミの力も強くなり、情報の受ける側と送る側のバランスがとれず、私は受け手の側の一人として情報の流れの中で自立して行く為にはどうしたらよいかを考える毎日であった。

 そこで私は受けた情報を私の情報としてつくり換えて、もう一度社会に投げ返す表現を考え実行した。
 そのきっかけになったのが、購読していたアメリカの大型写真雑誌のライフ誌であった。それらの表紙や記事の中の写真をモチーフとしていた。『IF』はその中の代表的な作品である。


この号の表紙を見た時、第二次世界大戦のアメリカの空襲を逃れて、母親の里の山の中にいた時の記憶が蘇ってきた。
 そこで毎日眼前にそびえる「せんげ山」に表紙の鹿を見立てて山に入って行く太陽を日の丸の旗に見立て、当時11才の幼い自分が日本が勝つことのみを信じて生きていたことの後の国家の裏切りを感じた当時の気持ちを疑問符の IF で表現した。写真の題字の LIFE LE を取り除いた題字にした。

表紙に印刷されている米軍がベトナムの村落の人々を虐殺したというタイトルであり、この表紙の中に時空軸をいっぺんに飛び越して、私の戦争体験と共に重層的につめこまれた画面を意識してつくった作品である。


1970年は雑誌ライフの表紙を使った作品を通して
情報の投げ返し運動を始めた頃である。

代表作には、

月と企業 1971

人類初の月面着陸した米国の宇宙飛行士アームストロング船長が、月面を歩いている写真をシルクスクリーンで服の裏地に刷り、1970年の大阪万国博覧会場アメリカ館の、空気をキルティングしたスタイルを使用し、透明アクリルに宇宙飛行士を送った、アメリカ企業100社のランキングを刷り、その映像の上に被せた作品。



会談 1971   撮影酒井啓之


囚われた群衆 1971


ゲバラ 1974