2019年12月15日日曜日

島州一の『言語の誕生』


2005年「武蔵野美術大学研究紀要2004-35」に自らの絵画論として寄稿された『言語の誕生』
当時武蔵野美術大学で油絵科の非常勤講師を勤めていました。

人が言葉を喋る構造と、絵を描く構造は同じであるという仮説に基づいて平面『言語の誕生』は制作されました。

別の私が私自身をトレースして画面を描くことで、私の身体の機構を通して透視図的にトレースされた私が平面上に出来上がる、というものです。






『言語の誕生』は
島州一図鑑より アクセスしてください

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誰にも影響されない正に独自な表現方法『言語の誕生』


言語の誕生72  1993年制作F120




2019年12月13日金曜日

イメージの頭と尾 (3)

2005年に武蔵野美術大学紀要に執筆した『言語の誕生』の下敷きと言っても良いと思う。
イメージの頭と尾(1)、(2)、(3)である。忍耐力のある人は読んで欲しい!

文章のリクエストがあると、いつも完璧な対応をしていた。たとえばこのコメントには原稿用紙2枚ぐらいとあると、キッチリ2枚に収める、それもあっと言う間に。
国語は苦手だったと言っていた割にうまい文章家だった。句読点が少ない長いネックレス文章だったけれど、笑。



イメージの頭と尾(3) 

 イメージという言葉ほど境界が定かでない語はない。イメージは私の想像力の中に住むネックレスの様に連続し、とめどなく循環する檻の中を歩き廻るトラである。

 私が書き付けるこの言語は、文字を書く毎にフレーズやセンテンスがゾロゾロつながり出てくるが、その様がイメージ機能の本質であるかもしれぬ。記憶をたどることで引き出されてくる意識は、頭脳内に起こる火花として映像化され、その閃光が次々に他の記憶に引火し映り出す闇のスクリーンであり、現実の中の白昼夢ともいえる。


 私が絵を描く時、紙や顔料を使う身体の動く相互関係は、正しく具体であるが、描こうとして指がパステルを持ち、紙に接触しながら線を引く瞬間から、支持体と私との間に、すでに次の行為へのプログラムは予定されていることがボンヤリと感じられる。

 紙に描かれた一本の色の線は現実である、と同時に私に映るイメージの記号となる。紙とパステルが係る指が働いている時間内には具体としてある現実が、一旦それを他者として眺める時に映像となり、定かでない平面という曖昧な概念世界へと変わってしまう。

 疎外されるその危機感は私が他としての世界に拡がり、自他が一体化される快感(=自然)と拮抗する。

 暗闇に向かっての跳躍。原始の人間が一歩進む時の予感は、記憶に支えられた期待と恐のイメージであり、その集積された長老の権威が皆から尊敬された。

 予感というイメージは記憶というイメージに支えられ、現実に出会い続ける今迄のイメージは、現実と衝突する度に再構成され続けるプログラムであり、それは感情で彩られる。

 予定であるプログラム内の各々の項目は相互に関係しあっているが、厳密にいうと二者の間の距離は無限であり、あいまいな機構であって、流動的に相互の関係図は変化する。関係は相互間の紡ぎ出す繭玉であり、二者各々の視覚的な形状の説明にはならず、本質的な機構内の能力が互いの<他>を媒介として引き出され、相互の力によって構築された関係項と云える。

 精神が宙空に形創る像は正にイメージである。優れた哲学や思想が形創る世界は、各々美しい形となって私に感じられる。美術も又、視覚を前提とするメディアであるのにかかわらず、観ることによって内発される精神の形が再構築される作業に求められることが解る。

 脳内の記憶の海に浮かぶ言葉の断片が瞬時にイメージとしてプログラミングされ、水面上にネックレスのように引き出されてくる形は、一つの言葉自体は何の意味をも私に関係なく存在するのに、他との接触による波の影響で、それまでバラバラに浮遊していた語が、ある働きをいっせいに興し、互いに生物が群れるように構成される様がイメージされる。

 管理社会の情報網と同じく、私の内部のイメージも又、視覚的には実体のない火花としてその時記録しなければ瞬間的に流れ去る。構築された社会の組織も目に見えない関係の上に成り立つ人間相互の価値基準というイメージに支えられ構築されている。その関係を具体化するために書類が最優先される具体としてある。

 定かでない事と事、物と物、事と物の関係はやはりイメージによって結ばれ、具体的に関係付けられる。

 情報の系統的機構としての歴史は、イメージと行為を関係付ける記号化された物事の起承転結・因果関係を証明するイメージの組織化である。とはいえ過去の一つの行為は、イメージがその時代の論理によって支えられて実践された。その基準は様々に変わってきた人間の欲望に即している。私と他の人間との関係は、私の欲望で相手を取り込むイメージによって意識され、私の欲望のランクに位置付けられる。そのランクも欲望の変化・変質により配置変えられる。しかし、私の絶対は不変として常に背骨のように私を支えてあり、そこに欲望の枝葉や根が萌え伸びる。私が生きる社会が持つ欲望である共同幻想も又、個人が普遍たらんとするイメージの集積の傾斜と云える。


 行為表現においてイメージがイメージを呼ぶと同時に、具体的行為が畳みかけるように具体を呼び、イメージと行為の系列は平行して進み、時には交歓し合いながら様々な関係図を創りつつ成長する。その様は大きな樹の幹を外側より見た左と右の各々の輪郭線に例えられる。目に見えないイメージの実現の歴史が左側の幹の輪郭線とするならば、右のそれは行為の歴史で、二本は互いに沿ってあり、その関係構造が幹の内部としてイメージされる。樹の幹を輪切りにした断面の輪郭は円であり、外側の輪郭線にみたイメージと行為の区別はなくなり渾然一体となる。樹の芯は普遍たらんとする私であり、その中心軸に付着しながら拡がる肉壁は過去のイメージと行為の交混された歴史そのものの太さであり、左右の幹の稜線に挟まれたイメージと行為の交混体として、遠く離れて見た時にあたかも一本の線として見える繁茂する枝葉の支持軸である。その地中に拡がり伸びる根は私の欲望の形としてイメージされ、地中の栄養を吸収しながら地上の大樹を支える。上方に生え拡がる枝や葉は、太陽光を少しでもより多くと望んで根や幹の能力に応じつつ調和をとって成長している。太陽に近づこうとする幹は不変の私であるのに比べ、様々な角度に向かう枝や葉は現実に存在する強さはなく、その限られた時間を取り込もうとする手足である。


 表現行為を効果的にするレトリックも又、イメージと具体の置き換えには必要な論理として私の中に存在する操作軸である。

 枝や葉や花を支える幹は地中の根に支えられ、根は地軸に支えられる。地球は宇宙に支えられ、人間が宇宙を意識することにより存在として地球が在るべき宇宙を支え、私が在る故に樹のイメージが存在する。以上のイメージの循環が私の倫理を形成する。

 上方に伸びる枝としての定立は、変転限りない砂漠に家を建てる作業に似て、一過性として儚いものではあるが、そのイメージによって私の内部の欲イメージ望は活性化され、行為となって具体化される意義に於いて、初原のイメージの価値は想像を絶して大きいと云える。

 イメージとは使い捨てられながらたくましく成長する肥料としてイメージされる。

1987年4月 
島 州一 

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2019年12月12日木曜日

イメージの頭と尾(2)


2005年に武蔵野美術大学紀要に執筆した『言語の誕生』の下敷きと言っても良いと思う。
イメージの頭と尾(1)、(2)、(3)である。忍耐力のある人は読んで欲しい!


『言語の誕生』におけるトレース的描写技法ー絵を描いているつもりの自分の他に別の自分がいて、本当は自分は絵を描かされている、という文学的とも思える論法。




イメージの頭と尾(2)

 物は事におおわれて現実と共にある。物の属性である本質は無数の俗事により見えにくく存在する。俗事とは情報記号と言い換えられる。言語も又、情報に使われ、本来言語が持つ本質の力が、分散され失なわれつつある。行動における<特殊>としての美術も、如何に俗事にされ、原始の叫びという根元的力を疎外しているか? それを取り戻すための美術の実践が残されている。

 管理社会の中に住む心身は、自然の中でやはり自然としてあるべく一層努力が必要になるが、管理されればされるだけ、強く自然を保持しなければならない。味覚としての辛さや甘さ、塩分のバランスをとる、と同じ事柄といえる。情報にしても他から受けた分量だけ自分なりの体験としてトレースし、現実化することで、自然が保たれる。

 イメージと現実の衝突が引き起こす脳波の震動は、知覚として手足に感覚され、他に及ぶ様を瞬時行為の途中に意識させ、巨大な無意識の世界を進み、垣間見させる。今、この瞬間に対峙する他は、物事の連なりとして確認されるが、その時起こる現実の机や紙のつめたい感覚は、私以外の世界としての机や紙の存在位置を標示し、私の内外に潜む感覚の方向を絶えず刺激し、感覚の分水嶺としての脳へと収斂される信号は、手足の行為へと導かれる。

 日常持つ机や紙の概念は、私がそれらと具体的に接触した時にこわされ、一瞬知覚が途切れる。その知覚の狼狽が大きければ大きいほど、私の中での近くの復旧作業が大急ぎで行なわれる。そのスピードは、瞬時言語が飛び出す速さと似ている。復旧作業を飾る行為の様式化が日常の儀式である。

 山の向こう側とこちら側を結ぶトンネルの闇のイメージは、自然の暗黒を私に知覚させ戦慄させる。その暗闇はこちら側の物事の概念と自然とを結ぶ知覚の不明道で、それ自体暗黒の世界であり、無意識の領域である。

 無意識の宇宙を支える意識の光は、ちょうど細く途絶えるばかりにとどき合うトンネル内の向こうとこちら側からの光が闇の中で連結するのに似ている。そのかたちは一本の線であるが、仮に現実が大きな一個のかたまりとするならば、私もまたその中で外圧に耐えながら存在する極小のかたまりである。物質がかたまりであるように空間も又かたまりである。そのかたまりであるシコリが、物質であったり私であったりする関係を表現する行為が芸術である。

 シコリをこだわりでなくする為、記憶の集積である擬似体験を現実に体験する。途切れ途切れになるトンネル内の感覚の光は、五感の砦に保持される帝国に見える。その他は闇の帝国領域である。五感の砦を司る知覚は闇を縫うように各感覚の砦間をかろうじて繋ぐ。視・聴・臭・味・触覚の各々が感じる一つの現実への認識の落差は、私の中だけの作業であり、他の自然とは関係しない。他との関係規準のない感覚世界が実は問題なのではないか?密室の復旧作業自身が他の自然との衝突にさらされているはずで、常に自然に向かって開かれた部屋として作業しなければならない。

 知覚しようとする物質の価値は、私のイメージと衝突する他世界との感覚の落差として標示され、性質として判断される事柄は、必ずしも普遍なる性質と断定できないし、客観性を持てないはずである。他である対象の物質と私の知覚の関係は、感覚どうしの落差を保持し復旧させる行為そのものの中にあるでっち上げられた情報に支えられる。

 間違いの処理の方法は一つ。私が現実である他と接触し続けることを意識し、行為を繰り返すことで、現実をトレースする実践の中にこそ在る。

 意識が無限の無意識に支えられるのと同じに、感覚も又、五感以外の無数の感覚に支えらえていると仮定できる。手足のように意識上に顕在化できない感覚は、実は知覚されているのにかかわらず、闇の部分の感覚として認識出来ず名付けられない感覚ー無意識としてイメージされる。

 それら感覚と呼べないほど不確かな感覚の海の中を泳ぐ姿が不明されるのみで日常が存在する。

 物質を見極めようと細かく砕いて原子となった時、その物質はすでに物でなく、見えない力のかたまりとなる。その集積が、見えないことが見える空間で、見えない原子のかたまりと考えられる。だから、物質は見えない空間内のシコリであり、宇宙の腫れ物かもしれぬ。私の心身も又同様である。

 地球というシコリが丸いというイメージを支える行為こそ、自他のイメージの連続する衝突を意識した結果であり、その衝突は今もなお続く。

1987年4月 
島 州一 

※原稿に読めない語は不明とした。

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2019年12月11日水曜日

イメージの頭と尾(1)

最近、テキスト原稿を整理していて初期の頃の原稿(ワープロ入力した原稿)を確認し、パソコン入力した。1987年執筆の原稿である。読み返してこれはキッチリ残さなければと思った。私には内容が非常に難しく、当時理解し難く入力を後回しにしたと思われる。

2005年に武蔵野美術大学紀要に執筆した『言語の誕生』の下敷きと言っても良いと思う。
イメージの頭と尾(1)、(2)、(3)である。忍耐力のある人は読んで欲しい!

1987年頃は、70年代に行った3、4次元の行為表現を如何にして2次元の平面に変換するかという実験に苦慮していた頃です。


イメージの頭と尾(1) 

 イメージは、隣合う物事と私の間に、時空間の別なく生まれる幻想のように思われる。

 生きることは、一瞬前や後の間にある現在の私を自覚し意識することに於いて在る。隣り合った物事について考える時、目に見えるものと、それを隔てる空間のように目に見えないものがあることを知覚される。自分の意識の外にある物事をボンヤリ見過ごしてしまっても、それは私をとりまく環境には違いない。

 私の身の回りのメカニズムを、できるだけ広く、深く、全ゆる角度からみて、認識し、考え、行為するために、イメージが故意に外されている現状を考えてみたい。

 私の原風景の一つと思われる街の風景は、私の体験した気分といったものが下敷きとなって出来上がり、数十年を経てもなお生き続けている。この記憶もまた、イメージ=映像である。視覚の根源のような地帯が私の頭脳にあり、確かに過去に体験した光景は、その細胞の畑に営々と栽培されている植物のごとく存在する。そういう作物の一つに、父の持っていた世界美術全集の名画の記憶がある。ラファエロ前派やデューラーの銅版画のメランコリックな世界は、私に世界の一つの形で示してくれた。母親の唄うブラームスの子守歌や宝塚の歌劇中に唄われるパリの歌、近所に住むキリスト教の牧師の異教風な世界は、父母に育てられる過程の中に異質な世界として私に定着した。親や幼稚園、小学校の先生たちの教育のいたずらな厳しさや軍国日本の旗印としての教育は、自分自身を深く掘り下げなかった人たちに私が囲まれていたことを証明する。

 米軍機の空襲を逃れた山の中の生活は、それまでの都会とは全く別の体験を私に与え、自然の中に私を解放してくれたが、そこでなお違う政治や社会の形体をも教えられた。一朝にして軍国日本は民主日本に変わった。幼い私にまで死ぬ覚悟を与えた教育は、虚脱状態の中で放り出され、私は野放しにされた。、、、、、。

 このようにして私の過去の記憶は頭脳の畑に繰り返し栽培されてきた。限られた広さの畑かもしれないし、たまには新しい畑を外の刺激によって開拓したかもしれない。いづれにせよ、以上の過去の記憶もイメージの一つと云えよう。それは現在の私が思い出し、記述することで現在と隣り合う。


  身の回りの見たり触れたりしている物を認識する時、それらの物質感や私との距離感までも身体を基準として計算される。現実の私は与えられた肉体の形状と機能によって支えられ、その能力で身の回りの物事に関わっている。

 私と物を隔てる空間があり、過去を現在と隔てる時間がある。しかし、私は未来について認識し物語ることは出来ない。現在と過去は隣り合い、未来に向かって刻々生まれる。その様を一つの図としてイメージする。仮に未来が堅い物質の壁なら、私はそれを身体のあらゆる力を使って削り、掘り進む。もし空虚な空間であるなら、その中を飛泳して行くだろう。知覚における島の角度と虫の角度を合わせ持つこと。

 その智恵を与え教育してくれる自然は他者であると同時に自分自身であることに気が付く。私の自然は私だけが創るのでなく自然がつくる。だから自然が創る私を含めての自然のなかに、時空間を超越した私が存在出来る。

 そのような私が思う事の出来る未来のイメージは、私が自由気ままに思い描く事であると言いきってよいと思う。

 自分を現在に位置づけ出来る現実は、知覚というイメージによって支えられ、構造として思い描くことが出来る。

 哲学者が考える言葉の一つ、幾何学者の引く一本の線、医者が切り裂く一本の肉体上の痕は、それらの背後にある自然の構造をイメージせずには行為することは出来ないだろう。その行為は、彼らの過去の行為と思考の体験の積み重ねの結果、判断し、実行される。その過程の中に過去、現在、未来があり、次元を超えた未来という形が見える。それもまたイメージである。

 原始の人が暗闇を一歩進むことに戦慄し身構える時、人は何をイメージするか?また何をイメージしながら一歩を踏み出すか?リアルな肉体を描くにしても皮膚の下の血肉や骨、精神と云った目に見えないものを描くことになる。それもまた、イメージ。ー時空間に複合されたー。

 目に見えないイメージとは、物事に附帯した嬉しい、悲しい、好き、嫌いといった感覚と境目が判然としないで連なっている。私の原風景の一つである、誰もいない屋敷町のコンクリートが縦一本に延び、消失点のだいぶ前で女学校の体育館の壁に突き当たり、右に折れる道、という物の映像としてのイメージは、単なる視覚的記憶でなしに、その風景を支える気分によって成り立っている。それは、道路の家並みの裏側に住んでいるイメージの装置を私が所有していることで、私の家庭や社会の環境の記憶が構成する空間が、私に時代という普遍のイメージへと導いてくれる。以上のように私の生きた各々の時代の感覚は、限られた私の体験の記憶の断片によって構成された映像に支えられた空間感である。

 この原稿用紙を一枡埋める行為を考えると、過去は、、、(句読点を打った以前全て)であり、現在は書き埋めつつあるこの空間の枡である。と書きながら、一行程はアッという間に書いてしまう一つのセンテンスの意味が現在の私であり、未来は私の筆に埋められるのを待つ原稿用紙の枡目である。それらのイメージは、実際に私が文字という抽象の記号を目に見えるように枡中に書き付けるに従って、次々と生まれて途絶えることがない。文字を書くことで流れ出る具体に支えられたイメージの行列は、抽象である私の精神の働きの過程を表すと同時に、文字を書くという肉体の行為をも表現する物と行為の間の白昼夢である。
 
 言語を喋ることに於いても、一言相手に向かって語り出すと、言葉は言葉を生むように、自分は半分ほども自覚しないままにかなりのセンテンスを喋ってしまっている。言葉という抽象の表現記号システムが私の内部に出来上がっていて、外の刺激によって私のプログラムから抽出してくる言語が、一瞬の休みなしに飛び出してくる。それらのプログラムをオペレートするのもイメージの働きといえる。感覚を知覚というイメージに置き換え、言語の海のプログラムを差異化し、次に類似点をも考えながら言葉は未来に向かって飛び出し流れる。その行為は、精神が肉体化される荘厳な瞬間となり、顕在化される。


 戦争を興すのも、イメージの空間感を無理やり忘れようとする生理によってであろう。


 目に見えない物質性は物の表面に覆われていて、その性質は、唯眺めるだけでは、表面の状態からしか類推、判別する以外に確かめることは出来ない。仮に私の肉体がその物に関わったとしても全くの物の性質が解るわけでなく、五感で感じる感覚を統合し、分析した知覚によってイメージされた対象は、私がその時イメージ出来た部分的な一つの側面でしかないし、その行為によって対象を名付けることは出来ない。

 人間の場合を考えても、目の網膜に映る肉体上の表面とそれが動く様でしかない。その人間の性質や才能をたとえ垣間見たとしても、その人自身を私が断定し名付けることは出来ない。仮にそれを表現するためには、レトリックを用いなければならなくなる。イメージが名付け親として。

 平面上に描かれた或る映像もまた、一つの自然としてそれを観る者の判断に任されている。画面に何か具体的な像が描かれていようと抽象物であろうと関係なく、描かれたカンヴァスとしての具体は、それを観る者の判断によってイメージされ、意味内容が生まれる。

 抽象絵画のように、世界が時空間であり、一つの物や空間がそれ自体の性質を固有していることを証明するには、隣り合う物事によって関係付けられていることを表現しなければならない。画面の単一な色や形のみでは意味がない。物は世界との関係において支えられ存在し、その関係を見ることで物がイメージできる。

 感覚の世界の次にイメージの世界がある。感覚は即応的かつ反射的であり、その信号は知性あるいは理性で統合され、知覚となり、次にイメージという像として対象がとらえられる。そのイメージ自体は過去の体験されたイメージを積み重ね類推し、差異化され判別されたイメージ群の中から取り出されたイメージたちを、今のイメージに付け加えた新しい形のイメージに集約し、瞬間的に創り上げる。それで対象を認識、判断する。


 服を着るように私はイメージを着るが、脱ぎ捨てることもしないと、新しいイメージの布切れを次々にからだに纏うことは不可能だ。この場合、脱ぐ行為は忘却することが無意識化することを意味する。意味という意識の舟は無意識の海を漂う。嵐で海が荒れ狂い、意識の舟を飲み込んでしまうが、また新しい舟を私は浮かべることが出来る。空間においても私は鳥として空中に在り、無限の空間に意識としての鳥は一つの点より小さく、たとえ無意識の空間に溶かされてしまっても、新しく鳥として瞬時に生まれ、空間に波線として生を印することが出来る。

 原風景である行き止まりのような無人の道は、一つの形而上学的空間として常に私を支えてくれる。それは、その記憶の広場で何を思い描き、何を表現しようと許される孤独な空間である白いカンヴァスを常に与えられ続けられるといった私の課題なのだ。絵や音楽に接し続けてきたことでそれを創り、演奏された人間の苦悩やメランコリーは、人間の精神の宇宙を私に植え付けてくれた。それらが粗悪な印刷物や竹の針で聴くレコードからだとしても、その記号的擬似体験の蓄積の解消にもだえた青春は、それを具体化する行為の中で成人しつつある。

 虚を実に、実を虚に、といった意識と無意識の変換のイメージは、思い描くことの
<図>を舟とすれば、浮かべ支えてくれる海は<地>という関係を思いおこさせてくれる。


 情報も又、イメージ化された他者からのメッセージであり、私はその中を泳ぐ。私の身体を圧迫しかつ泳がしてくれる情報の海は、私の体温や思考さえもその圧倒的な重圧で奪おうとするが、私も必死になってその力に抵抗する。頼りになり利用できるものは、私の精神と体力のみである。


 深く海中に潜るほど、水圧は厳しく私を圧倒し、鳥になって空中を昇れば、無窮の宇宙へと放逐されてしまう。私は水や空気である情報の空間に生きる。固有の肉体から根が地下に拡張し、地上へは大木としてのび、季節が巡ってくれば花も咲き実もつける。といった循環を意識することで生きる実感をイメージし、それを表現へと変換する。

1987年3~4月 
島 州一


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2019年3月4日月曜日

島州一図鑑

島州一図鑑


夫島州一が亡くなり半年余りになり、サイトの再構築を進めている現在です。

1993年に東京から長野に居を移した頃、夫の作品データの整理途中で、牧野富太郎博士の新日本植物圖鑑に刺激を受けて、いつか島州一図鑑をつくりたいとイメージしました。今回のこのサイトはそのイメージの実現の第一歩です。

まずは手元にあるデータからと思い、つくりました。このサイトが作家島州一を理解する上での手助けになれば幸いです。

島州一の作品をジャンル別に網羅します。進行形で追加していきます。画像をクリックすることで、画像を拡大し作品データを読めます。