2017年1月26日木曜日

IF




時は1970年
 ベトナム戦争の最中であった。当時の日本は高度成長時代の波に乗っていた。マスコミの力も強くなり、情報の受ける側と送る側のバランスがとれず、私は受け手の側の一人として情報の流れの中で自立して行く為にはどうしたらよいかを考える毎日であった。

 そこで私は受けた情報を私の情報としてつくり換えて、もう一度社会に投げ返す表現を考え実行した。
 そのきっかけになったのが、購読していたアメリカの大型写真雑誌のライフ誌であった。それらの表紙や記事の中の写真をモチーフとしていた。『IF』はその中の代表的な作品である。


この号の表紙を見た時、第二次世界大戦のアメリカの空襲を逃れて、母親の里の山の中にいた時の記憶が蘇ってきた。
 そこで毎日眼前にそびえる「せんげ山」に表紙の鹿を見立てて山に入って行く太陽を日の丸の旗に見立て、当時11才の幼い自分が日本が勝つことのみを信じて生きていたことの後の国家の裏切りを感じた当時の気持ちを疑問符の IF で表現した。写真の題字の LIFE LE を取り除いた題字にした。

表紙に印刷されている米軍がベトナムの村落の人々を虐殺したというタイトルであり、この表紙の中に時空軸をいっぺんに飛び越して、私の戦争体験と共に重層的につめこまれた画面を意識してつくった作品である。


1970年は雑誌ライフの表紙を使った作品を通して
情報の投げ返し運動を始めた頃である。

代表作には、

月と企業 1971

人類初の月面着陸した米国の宇宙飛行士アームストロング船長が、月面を歩いている写真をシルクスクリーンで服の裏地に刷り、1970年の大阪万国博覧会場アメリカ館の、空気をキルティングしたスタイルを使用し、透明アクリルに宇宙飛行士を送った、アメリカ企業100社のランキングを刷り、その映像の上に被せた作品。



会談 1971   撮影酒井啓之


囚われた群衆 1971


ゲバラ 1974