2012年12月9日日曜日

タブローと椅子

LT757 赤いズボンLT754  まつわるものLT760  曲芸LT761  テーブルマナーLT762  期待の椅子LT764  明るい椅子
LT765  独り言LT812  腕輪LT768  黄色いカーテンLT769  明るい階段LT774  考える人LT778  チャット
LT779  ダンディLT780  カリスマLT785  居間LT789  dining kitchenLT791  二つの椅子LT795  ソファー
LT799  祭りの日LT802  白い椅子の夢LT808  交接図LT810  仰向く女LT804  エネルギッシュLT776  指摘
tableau with chair F3, a set on Flickr.
⬆画像をクリックすると、flickr から観ることができます。


 私の制作の現在を布としてイメージしてみると、
縦糸がトレースで、横糸がタブローということになる。

 トレースはその技法の性格上原寸が基本になった表現形式であるのに対し、タブローは一応恣意的に大きさをF0、F3と決めて描いている。

 1980年より始めたタブローはあたかも言語が口から半ば無意識のままで形が生まれ出て、それをカンヴァスに移し、あくまでもその形のままでタブロー(油彩)のマチエールに変換したものを現在も続けて30余年続けている。

 トレースにおけるモチーフの選び方も自分の生活する空間を象徴するアイコンをシャツと定めて、あたかも地図に自分のシャツの織と染色の制作構造をイメージしながら水彩で制作している。
 それに対し、タブローは視界の大半が天空であるというパノラマチックな生活圏ゆえに、無限の拡がりのある空間を表現するのにタブローで何が描けるかがテーマそのものであった。 

 テーマは「タブローの風景」Landscape of Tableau である。既成の風景画のタブローでなく、タブローを使うとどのように世界が生まれるか?という問いかけがこのテーマの生まれるきっかけになった。

 私の生活空間を占める代表選手として椅子があげられる。その図をイメージしてみると、椅子に関わる身体を最初にイメージしておく。そしてタブローを描く時に何らかの出来事がおこる、というイメージを持つ。
 椅子という身体を支える道具は、身体の形や機能と密接に結びつき関係しているので、単なる身体の支持体という役目だけでなく、身体がそのまわりの空間と生活する無限のパフォーマンスを共にしていることになる。
 その場面を絵に描いた時、自分と椅子の関係が千変万化の変化をお互いに繰り返しながら係りあって、その場の光景を生き生きとダイナミックに創り出していく。

 その行為を司るのが油彩の絵具で、どのようなマチエールでそれらのパフォーマンスを表現するかが問題になる。色、形、マチエールの三者が以上の表現を支える。そしてこの土地の無限の空間と対峙して厳然と存在感を主張する。レアリティを追求することに結果的になる。
 自分の家の中に畳の部屋は寝るところだけで他の部屋は椅子の生活をしている。
 椅子が私の生活を支えている。極言すれば、椅子は私の存在の一部分である。故に作画の都合で画面の主人公は自分なのか、椅子なのか判然とせず、ただ四角の画面が充実するために奉仕するのみである。
 人間と同じに、椅子も寝たり起きたりして毎日を過ごしている。物になったり、空間になったり、人間になったり、動物になったり、歩いたり、仰向けに寝たり、うつ伏せになったり、横の左右に寝返ったりして過ごす。私も椅子と同様の動きを共受しながら生活する。

 以上のパフォーマンスを四角の画面に親しく表現するための形と色とそれを支えるマチエールの三者が一体となって作品の存在感をつくり上げる。
 それが私の考えるタブローであるのだろう。

2012年5月
島州一
 

2012年10月8日月曜日

Tracing-Shirt ASAMA→ADATARA 銀河鉄道


Tracing-Shirt ASAMAADATARA 銀河鉄道によせて





 2011年3月11日以降、半年ほど経て、今ここに或るという印のイコンとして十字形が生まれ、小諸高原美術館での個展インスタレーションに使われた。

 3.11の被災を弔う心からか、自然に父親の形見の黒いネクタイがトレーシングシャツ上に置かれ、その上に更に十字形の、死者たちが、宮沢賢治の銀河鉄道に乗って、暗い宇宙を飛んでいるというイメージで制作が始まった。

 そのイメージは、浅間山の象徴であるトレーシングシャツの上に銀河鉄道が生まれ、それが東北地方の安達太良山に続いているという図である。

 私の父親を始め、3.11の死者たちが楽しそうに、宮沢賢治の死んだ妹と共に、浅間や安達太良山の上空をいつも漂っている。

2012年10月1日
島州一








flickrはこちらから▶Tracing-Shirt with the Milky Way



2012年4月28日土曜日

ピサロ考





『カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代』というテーマで5月27日まで、宇都宮美術館で企画展が催されているが、去る3月25日に「対談:ピサロと影の表現」といった作家からの視点で観たピサロの講演を行った。

この美術館に収蔵されている私の作品「吃水線/面 ボート」を始めとして、私の表現行為の名称であるモドキレーションを引き合いに出して印象派の作品に対峙させることで、印象派の中心人物であるピサロが抱えていた幾多の困難を現代に繋がる問題として我々の前に「影」として浮かび上がらせることが目的であった。

1800年代の後半はフランス革命から第二帝政下の政変の中でもブルジョアジーの地位が上がり、産業が盛んになるにつれて、民衆への搾取が深刻化すると共に、ユダヤ問題が大声で叫ばれるような状況があった。
ピサロもポルトガル系ユダヤ人としてカリブ海の島よりパリに来ていた。

ピサロは終生迫害の歴史を背負いながらも制作に励んだ。またピサロを識ろうとすると、彼に関係する作家たちをも識らなければならないことになる。
印象派という派がはじめからあったわけでなく、最初は芸術家の共同出資会社という名目であった。それ以後の12年の間に8回の展覧会をしているが、その中のメンバーも各回によって変っているが、その中で全展にわたって出品した作家はピサロのみであった。
その当時のフランスの美術界はサロンが全てであって、クラッシクなテーマに限られ、それ以外の現実的な画題は認められなかった。しかしそのような状況の中でも、ピサロの風景や、マネ、ドガ、ルノアールの人物画も時には入選することもあったが、、、。
先輩のマネやクールベ、コローも印象派に関係しているが、主な作家としてドガ、モネ、ルノアール、セザンヌ、ゴーギャン、スーラなど我々にもなじみのある作家たちが参加している。その中でピサロは中心的な存在で、セザンヌやゴーギャンの教師役もした。

サロンはルネッサンス以降の美術が主流で神話的な題材を厳格な科学遠近法を用いて描く画風で、その形式を無視して自分勝手に絵を描くことはサロンはもとより一般の間でも認められなかったが、少しづつ時代の変化と共に新しい作家が発表したり、ジャーナリズムに取り上げられるようになってきた。

近代の特長は科学の発展にあるが、絵を描くことに於いても、描く対象に直接立ち会い、発信してくる事実を純粋に、感覚的に受け取り、直接その場でカンヴァスに印することがピサロの制作態度であった。
しかし、そのような画風は直ちにアナキストであるという烙印を押された。

さて「吃水線/面 ボート」でいうと、ボートを水に浮かべて吃水線で切断し、水面であると規定した映像の上に切断された船腹も裏返しにしてボートの上側と並べて置くといった作品である。そのコンセプトは、普段見慣れた光景となっている固定された観念を打破する目的でつくったと云うことができる。


吃水線/面 ボート



正にそのような自由な観念の解放はピサロの作品にもあり、それまでのサロン風の絵と異なり、自分の感覚で自然に向き合った時の感覚をそのまま絵具にしてカンヴァスにのせていく、カンヴァスの隅から隅まで忠実に画面を充実させていく、その時見たものを全て描くということが、その時代の常識からするとアナキズムと断じられた。

私もポルノ事件で収監されたりしたが、ピサロたちも当時の社会から受けた差別の圧力感は現代の我々の比ではなかったと再認識した次第である。
最後に云えることは、印象派が様々な個性と資質を持った作家の集まりで、その系譜はそのまま現代美術の問題となって受継がれていることを考えたとき、正に『永遠の近代』なのだと思う。

2012年4月23日
島州一

上田市の「夢の庭画廊」の小澤さんから、季刊誌に何か書いてくださいとの依頼があり、最近行った講演のあらましを文章にしてみた。
夢の庭画廊 ➤http://yumenoniwa.exblog.jp/i2/


2012年3月30日金曜日

印象派ー現代美術の発祥地

宇都宮美術館開館15周年記念 
カミーユ・ピサロと印象派-永遠の近代
2012324日(土)~2012527日(日)


▼宇都宮美術館開館のサイトはこちらから



現在、宇都宮美術館において開催されている『カミーユ・ピサロと印象派-永遠の近代』展の2日目、325日(日)に私、島州一と当館学芸員の有木宏二氏との対談が行われた。テーマは「ピサロの影(印象派)」としてあった。

私が1980年に文化庁海外派遣員として、印象派の総統カミーユ・ピサロの孫娘カティア・ピサロのギャラリーで8ヶ月お世話になった経験もあってピサロ展に関わったつもりであった。
しかし、いざ関わって見ると、自分が如何に印象派を識らずピサロを識らなかったということがわかった。

対談は印象派を縦軸に島州一のモドキレーションという表現行為の史料を横軸にして行われた。

巨大スライド幕に映じたスーラーの「グランドジャット島の日曜日」に、ピサロの「りんご採り」のスライドをレイヤーして、「島州一のモドキレーション」をさらに複数レイヤーして対談が進んだ。

ピサロが抱えていた人種問題、その当時のフランスの政治経済にからんだ労働問題が如何に作品表現に影響しているかを論じたりした。

以上のような問題から見たモドキレーションの意味の同定において、聴衆の目や耳からの意識を刺激し、展覧会がより分厚い意義深いものになることを願いながら対談した。

2012年3月30日
島州一

「グランドジャット島の日曜日」をテーマにしたオペラ
"Sunday in the Park with George"





2012年3月25日日曜日

島州一のASAMA いろは歌














浅間山という私の風景の象形と言葉そのもののぶつかり合いから生まれた『asamaいろは歌』を水彩画にしました。

『asamaいろは歌』の詳細はこちらから▶『asamaいろは歌』




2012年1月25日水曜日

検証『原寸の美学」2





Traceの部屋
前回のFinger Printの部屋に続いてTraceの部屋の検証をしたい。


 私が「言語の誕生」というモチーフにたどりついたのは、1970年代に行為で自然をトレースすることから発したと思う。
 ソシュールの言語学に刺激されたりして、自分という存在を自分がトレースすることと、自分が自分に言葉を喋らせることから演繹して、自分が自分をトレースするという絵の描き方を思いついた。
 言葉が生まれる瞬間と絵が紙上に描かれる瞬間とは同じ次元であると気が付いた。現実の物事を平面絵画に置き換える方法は以上の通りのシステムで自由に形をつくり、色やマチエールで平面作品を充実させることになった。

続きはこちらから▼




会場中央にみえる『影の梱包』
 見える世界のしくみは見えない世界の構造によって支えられている。
 椅子はそれ自身の影の構造に支えられていることを現実寸で証明した作品が『影の梱包』である。見える椅子をただ描くのでなく、椅子に触れながら床上に描くことで出来る影の空間を梱包した立体作品。


Traceの部屋会場風景