tableau with chair F3, a set on Flickr.
⬆画像をクリックすると、flickr から観ることができます。
トレースはその技法の性格上原寸が基本になった表現形式であるのに対し、タブローは一応恣意的に大きさをF0、F3と決めて描いている。
⬆画像をクリックすると、flickr から観ることができます。
私の制作の現在を布としてイメージしてみると、
縦糸がトレースで、横糸がタブローということになる。
トレースはその技法の性格上原寸が基本になった表現形式であるのに対し、タブローは一応恣意的に大きさをF0、F3と決めて描いている。
1980年より始めたタブローはあたかも言語が口から半ば無意識のままで形が生まれ出て、それをカンヴァスに移し、あくまでもその形のままでタブロー(油彩)のマチエールに変換したものを現在も続けて30余年続けている。
トレースにおけるモチーフの選び方も自分の生活する空間を象徴するアイコンをシャツと定めて、あたかも地図に自分のシャツの織と染色の制作構造をイメージしながら水彩で制作している。
それに対し、タブローは視界の大半が天空であるというパノラマチックな生活圏ゆえに、無限の拡がりのある空間を表現するのにタブローで何が描けるかがテーマそのものであった。
テーマは「タブローの風景」Landscape of Tableau である。既成の風景画のタブローでなく、タブローを使うとどのように世界が生まれるか?という問いかけがこのテーマの生まれるきっかけになった。
私の生活空間を占める代表選手として椅子があげられる。その図をイメージしてみると、椅子に関わる身体を最初にイメージしておく。そしてタブローを描く時に何らかの出来事がおこる、というイメージを持つ。
椅子という身体を支える道具は、身体の形や機能と密接に結びつき関係しているので、単なる身体の支持体という役目だけでなく、身体がそのまわりの空間と生活する無限のパフォーマンスを共にしていることになる。
その場面を絵に描いた時、自分と椅子の関係が千変万化の変化をお互いに繰り返しながら係りあって、その場の光景を生き生きとダイナミックに創り出していく。
その行為を司るのが油彩の絵具で、どのようなマチエールでそれらのパフォーマンスを表現するかが問題になる。色、形、マチエールの三者が以上の表現を支える。そしてこの土地の無限の空間と対峙して厳然と存在感を主張する。レアリティを追求することに結果的になる。
自分の家の中に畳の部屋は寝るところだけで他の部屋は椅子の生活をしている。
椅子が私の生活を支えている。極言すれば、椅子は私の存在の一部分である。故に作画の都合で画面の主人公は自分なのか、椅子なのか判然とせず、ただ四角の画面が充実するために奉仕するのみである。
人間と同じに、椅子も寝たり起きたりして毎日を過ごしている。物になったり、空間になったり、人間になったり、動物になったり、歩いたり、仰向けに寝たり、うつ伏せになったり、横の左右に寝返ったりして過ごす。私も椅子と同様の動きを共受しながら生活する。
以上のパフォーマンスを四角の画面に親しく表現するための形と色とそれを支えるマチエールの三者が一体となって作品の存在感をつくり上げる。
それが私の考えるタブローであるのだろう。
2012年5月
島州一