2016年2月11日木曜日

言語の誕生の添景と顔

言語の誕生321添景
2003, 2015


 人間の精神のほとばしりが肉体の素振りを通してあたかも言語を喋るように、画面上に起承転結をもって描かれ、『言語の誕生』シリーズが生まれた。この表現は自分にとっては直接的であり即物的であったはずのものが、今ひとつ納得がいかなかった。


 2007年よりTracing-Shirtシリーズを始めた。自分を浅間山に仮定することでメタモルフォーゼされ、私のシャツに浅間山というシンボルが同定して出来た作品である。その結果、作品づくりにはメタファーシンボルが同居することが必要と私に気付かせてくれた。


Tracing-Shirt 201


 そこで言語の誕生の作品の上に私の数種のシンボルをアイコンとして描き加えたところ、不思議なくらい言語の誕生の画面に同居し、画面全体が目覚めたように意味を持ち始めたのが驚きであった。


言語の誕生343添景
2005, 2015


言語の誕生338添景
2004, 2015


 言語の誕生というメタファーは私の個人的な形であって外界の形はいっさいない。作品を鑑賞しようとする時、手がかりがないとせっかくの構造も意味を持てなくなる、云わば自家撞着に陥ってしまう。

 そこに外界の具体(似像)を持ち込むことで、いわゆるシンボル(icon)とコミュニケーションが生まれ、観る者にとってそこに活発なコミュニケーションの図が描けることになった。更にその画面の上に、直に顔の造作を置くことでより作品の奥行きが生まれる気がした。


 言語の誕生と添景が綴り出す画面の内側の世界に対して、より現実的な画面そのもの(表面)に、顔をのせることで、より分厚い意味を持った空間を生み出すことになった。

言語の誕生105添景
1994, 2016

言語の誕生71添景
1993, 2016

言語の誕生 141添景+
1995, 2016


flickr 言語の誕生添景 はこちらから