2022年2月20日日曜日

TRACE HIROSHIMA 1988 制作プロセス


TRACE HIROSHIMA 1988


 1988年は映画ブレードランナーのごとく、毎日雨、雨、雨の冷夏だった。

薄い記憶の中では、確か10kgの米が ¥30,000 だったと思う。家ではそんな贅沢品を敬遠して、日本食には不向きのタイ米を我慢して食していたと思う。


 その年に、広島市立現代美術館の開館展への出品依頼があった。島の世代の人は皆そうであると思うが、敗戦をむかえることになる広島市の悲劇に特別な感情を禁じえないと思う。


 島州一の [ TRACE HIROSHIMA ] 制作プロセスの写真ファイルを見ながら、やらなければと思っていたデータファイル作成に取りかかった。もちろん身近にいた私が、写真、ビデオ撮影を担当した。その頃島はシルクスクリーンを自分で刷っていたり、ものを切り刻んでトレースするという表現方法にこだわっていた。急に箱をつくって切り刻むという毎度のユニークな発想をいかに追跡したかという記録がこの写真データです。416枚の写真をスキャナでスキャンしながらの制作プロセスの記憶を以下、記します。


 1988年頃は、東京芸大に版画の非常勤講師として勤めており、自らもシリーズ SP-C でカラフルなシルクスクリーン作品を多作していた。



SP-C,D 74



その数年前は CFP というシルクスクリーンされたアクリルの箱の中に 

finger print を構成するというダイナミックな作品を作っており、多くは美術館に収蔵されています。



CFP 45


finger print metro 18



制作プロセスを順に追っていきましょう。


●箱をつくる

この箱は切り刻まなければならないので、釘を使うことができない。つまり木釘のみです。最初に見えるデッサン用紙が制作設計図です。簡単に書かれたメモのようなものです。



スケッチブックのメモが設計図








●箱を切り刻む

恣意的に引いた線に沿って鋸で切り刻んでいきます。しかしこの切り刻んだ断片は元の箱として復元しなければならない。こんなにバラバラになった断片を復元するのは容易じゃないはずですが、いとも簡単にしてしまう才能に驚きます、「あんたはえらい!」












●箱のパーツのトレース①

 1. 切り刻んだ箱のパーツの展開図をトレース

 1. 展開図をハサミでトレース(カット)

 1. パターン作成=展開図を折る、糊付け、折りライン記入












この頃、和紙にシルクスクリーンした trace という版画作品も多く手掛けています。

その手法で切り刻んだパーツをトレースしていきます。しかも箱の中に納めなければならないので折りたたまれています。まるで仕立て屋の様。



trace 10


●箱の復元

さてさて、バラバラになったパーツを元の状態に復元しなければならない。

各パーツに数字が書き込まれ波釘を使って復元。まるでフランケンシュタイン!












ところで、1984年にフランケンシュタインテーブルという作品を手がけています。これはテーブルを切り刻んで復元し、刻んだパーツをトレースしたものを壁に展示したインスタレーション。情報社会に惑わされないよう、アナログとデジタルを変換させる術を開示したものでしょうか?



フランケンシュタイン テーブル


●構成及び構図色の決定

スケッチブックのメモと頭の中の設計図をもとに復元した箱の中に各パーツを構成していく作業です。パーツの色をイメージしながら色鉛筆で彩色されます。
















●箱のパーツのトレース②

 1.版作成=ブロッキング法によってパターンを版にトレース

油性の描画剤でスクリーンに図像を描き、網目をふさぐことのできる水溶性溶剤を全体に塗ったあとで、描いた画像の部分を洗い流す方法。

 
















 1. 展開図をハサミでトレース(カット)

 1.パターンをシナベニヤにシルクスクリーンでトレース(刷る) 


今はシルクスクリーンは水性だと思いますが、この頃は油性のブロッキング法が主流で、この技法は強い薬剤を使うので、身体を痛めたと思います。その後長野に移ってからは次第にシルクスクリーン技法は姿を消していきます。



●箱のパーツのトレース③

 1. シナベニヤにシルクスクリーンしたパターンを電動ノコギリでトレース(カット)


電動ノコギリ、電動糸鋸を使って器用にパターンを切り刻んでいきます。行動に冷静さがあり、細かい作業も丁寧に対象物をまるで生き物のように懐けながらと言えるように制作していました。














●パターン、じょうごを箱の中に構成→取り付け


下の簡単メモと頭の中の設計図を基に箱の中に取り付けていきます。パーツの裏にメモを記しながら、ボルトナットを駆使して取り付けていく作業は見事なものです。また原爆ドームのアイコンとしてのじょうごも随所に投げ込まれていきます。構成した通りにデザインされているのを見ると島州一の記憶装置の見事さを感じないではいられません。











































●設計図となった展開図を剥がす


各パターンには設計図の役割を果たした展開図がパターンについたままです。これを剥がすのは大変だったと記憶しています。ボルトナットにガードされてる展開図は取り除く際にボルトナットに引っ掛かり手を傷つけました。中のパターンに至ってはピンセットを使い引っ張るにも強固に取り除かれることを拒絶するのです。展開図を剥がされた箱は美しい色彩に彩られた強い意志の塊のようでした。












 この作品は、1989年5月3日から1989年8月20日まで、広島市現代美術館の開館記念展 広島・ヒロシマ・HIROSHIMA に出品され、展覧会終了後同美術館に収蔵されています。



TRACE HIROSHIMA 1988
130×110×20㎝
mixed media
1988


今、あらためて34年ぶりに観ている作品は決して色褪せることなく、広島を決して忘れないぞという島州一の強い意志、を具現化していると思われます。


この制作プロセスを pdf書類 にしました▶ TRACE HIROSHIMA 1988 制作プロセス








2022年2月20日

島 今子






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